2009年06月19日

骨髄増殖性疾患(こつずいぞうしょくせいしっかん)

骨髄増殖性疾患(こつずいぞうしょくせいしっかん)とは骨髄系腫瘍の一つであり、幹細胞レベルの異常から成熟血球細胞までが骨髄で異常増殖を起こす疾患である。すなわち分化障害のない腫瘍性の疾患である。急性白血病との違いは急性白血病の腫瘍細胞は分化障害があり、骨髄性の場合白血球裂孔が存在するのに対して、骨髄増殖性疾患である慢性骨髄性白血病では白血球裂孔が存在しないことがあげられる。また悪性リンパ腫との差としてはWHO分類で示されているように悪性リンパ腫は由来細胞で分類される。殆ど悪性リンパ腫は分化した細胞が腫瘍化するのに対して骨髄増殖性疾患では幹細胞レベルで障害がおこっている点が異なる。

特に有名なのが慢性骨髄性白血病である。 慢性骨髄性白血病は顆粒球系の増加が著しく、真性多血症では赤血球系の増加が著しく、本態性血小板血症では血小板の増加が著しく、骨髄線維症では骨髄間質細胞の増加が著しいのが特徴である。原則として骨髄増殖性疾患ではNAPスコア減少、血清ビタミンB12が減少する。例外となるのが骨髄線維症である。
慢性骨髄増殖性疾患(CMPD)という。骨髄における多能性幹細胞に生じる単クローン性の慢性増殖性疾患である。以下の疾患がこのグループに属する。
頭痛
オーパーツ
社交ダンス
惑星
ラフティング
爬虫類
キャンプ
流鏑馬
犬ぞり
華道
日本の建築
家電の昔
江戸の歴史
湯・茨城
湯・山口
安土桃山時代
湯・長崎
裁判所について
アリさんの一日
カラオケ・ばんばん


慢性骨髄性白血病(CML)
CMLはPhiladelphia染色体が原因でそこをターゲットとした特効薬イマチニブが2008年現在製造されている。自然経過では100%急性転化を起こし、急性白血病となる。
真性多血症(真性赤血球増加症PV)
自然経過では急性転化はまれである。ヒドロキシウレアによる二次性白血病の方が問題となる。PV、MF、ETにおいてチロシンキナーゼJak2遺伝子の点突然変異が発見され、V617Fと呼ばれている。今後これをターゲットとした創薬が始まると考えられる。
原発性骨髄線維症(MF)
骨髄線維症の予後は悪く、平均生存期間は5年ほどである。20%から30%は末期に急性白血病を引き起こすことが知られている。無症状であれば治療は経過観察であり、貧血に対してはタンパク同化ホルモン、巨脾と白血球数のコントロールにはヒドロキシ尿素と放射線治療が行われる。これらは支持療法であり、同種造血幹細胞移植が唯一の治癒的治療法である。骨髄線維症の三徴としては、骨髄の広範な線維化および、髄外造血による著しい肝脾腫、末梢血の白赤芽球症が有名である。白赤芽球症は赤芽球と顆粒球の幼若細胞が末梢血中にみられることで、leukoerythoroblastosisといい、骨髄線維症、癌の骨髄浸潤、粟粒結核で有名である。PV、MF、ETにおいてチロシンキナーゼJak2遺伝子の点突然変異が発見され、V617Fと呼ばれている。今後これをターゲットとした創薬が始まると考えられる。
本態性血小板血症(ET)
自然経過では急性転化はまれである。ヒドロキシウレアによる二次性白血病の方が問題となる。PV、MF、ETにおいてチロシンキナーゼJak2遺伝子の点突然変異が発見され、V617Fと呼ばれている。今後これをターゲットとした創薬が始まると考えられる。

2009年06月01日

アフリカ・アジア大陸進出

いち早くレコンキスタを達成したポルトガルは北アフリカへの進出を確固とし1415年、ジョアン1世のとき命を受けた3人の王子が北西アフリカのセウタを攻略した。エンリケ王子は西アフリカに留まって伝説の『金の山』を見つけようと沿岸の探検と開拓を続けた。ポルトガルは1460年ごろまでにカナリア諸島・マデイラ諸島を探検しシエラレオネ付近まで進出し、さらに象牙海岸・黄金海岸を経て1482年、ガーナの地に城塞を築いて金や奴隷の交易を行った。1485年、ディオゴ・カンがジョアン2世に命じられてナミビアのクロス岬に到達した。

1488年、バルトロメウ・ディアスは船団を率いて困難の末にアフリカ南端にたどり着いた。ディアスはさらにインドを目指したが強風に行く手を阻まれた挙句に乗組員の反乱も起こったため帰路に発見した岬を『嵐の岬』と名づけて帰還した。この成果にインド航路開拓の確証を得たジョアン2世は『嵐の岬』を喜望峰と改名させた。
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1497年7月8日、ヴァスコ・ダ・ガマはマヌエル1世に命じられ、船団を率いてリスボンを旅立ってインドを目指した。目的はイスラム商人を排したインドとの直接交易。先人達の知識をもとに4ヶ月で一気に喜望峰に到達したガマは、アフリカ南端を回ってモザンビーク海峡に至りイスラム商人と出会うとインドへの航路に関する情報を収集した。

1498年5月20日、ついにヨーロッパ人として初めてインドのカリカットに到着したガマは、翌年、香辛料をポルトガルに持ち帰った。その後ガマは国王の命で遠征艦隊を率いてイスラム勢力と衝突をくり返し、インドとの直接交易を獲得するに至った。ポルトガルは順調にマレー半島・セイロン島にも進出、1557年にはマカオに要塞を築いて極東の拠点とした。その間、1543年にジャンク船に乗ったポルトガル人が日本の種子島に漂着して鉄砲を伝えてい

2009年04月29日

賽銭

賽銭(さいせん)とは、神や仏に供える金銭のことで、多くは神社、寺院の前に置いてある賽銭箱に投入する金銭のことを言う。

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参拝者は賽銭箱に金銭を投入した後、神社なら拍手、寺院なら合掌し、目を閉じながら神仏への願い事やお礼を心の中で唱える。

金額は決まっていないが、多くの人は硬貨を賽銭として投入していて、願いにかけた語呂合わせの金額が使われることも多い。

たとえば、最近では「始終ご縁(45円)がありますように」といった感じである。初詣では「福来い(2,951円)」を賽銭として投入する自営業者も多い。

尚、賽銭箱が存在していない地蔵や神体の前にも、時おり参拝者によって賽銭が置かれることがある。博物館に展示されている仏像、神像の前にも賽銭が置かれていることもあり、「賽銭をあげないでください」と注意書きしてある場合もある。

古来神仏に祈願する場合、主として五穀を紙に包み奉納した。貨幣経済の進展に伴い米・雑穀よりも銭貨が増え、しかもそのまま神前に置かれたので自然発生的に銭貨を受ける賽銭箱が生まれた。室町期の『快元僧都記』という僧侶の日記によると、天文9年(1540年)に散銭櫃(さんせんびつ)なる箱が鶴岡八幡宮に置かれたという記述があり、これが賽銭箱が記録に残る日本最古のものとされる。室町時代に伊勢参宮や本山詣が庶民に広がり、賽銭を奉る風習が定着したといわれる。

多くの賽銭箱の形状は、長方形で、上部の蓋部分が梯子状になっており、内部に下向きの板を配して、中の金銭に手が届かない構造になっている。材質は、圧倒的に木製が多い。初詣をする人が多い寺社では、正月期間だけ特大の賽銭箱を設ける。

なお最近では、賽銭箱を無理にこじ開けたり、賽銭箱をそのまま持ち出したりする被害もあるため、そういった被害にあわないために金属製の賽銭箱なども使用されている。

賽銭箱形の貯金箱が観光地でよく売られており、遠足のお土産の定番である。

2009年04月14日

楊式太極拳

楊式太極拳(ようしきたいきょくけん)とは、中国武術の一門派(流派)であり、伝統太極拳の中でも代表的一派である。

その起源は河南省陳家溝在住の武術家陳長興について陳家太極拳を学んだ楊露禅が、大成の後に独自の創意工夫を施して創始されたものといわれる。

露禅は実戦名手として「楊無敵」と讃えられ、その評判故に請われて清朝の王族、貴族の多くの者に教授した。その拳は非常に柔らかな動きで、「綿拳」あるいは「化拳」とも称されたと伝えられる。その後も露禅の子、孫と3代にわたって楊式は改変され、現在最も普及しているスタイルは露禅の孫、楊澄甫が伝えた大架式の套路(型)である。楊式太極拳の理論書としては、楊班侯伝の『太極拳九訣』や楊澄甫伝の『太極拳老譜三十二解』がある。

楊一族のみ、なぜあれほどの無敵の強さを誇ったかについては、元来楊一族のみ伝えられていた拳(緩急自在・剛強な拳風 )を家伝の秘拳とし秘密裏に練習・伝承し他には伝えなかった為、文人向けに伝えた軟弱な套路を他に伝える派のみが増えていったとする説がある。

楊式太極拳にも比較的素早く細密な動作を含む、楊家小架式及び楊家二路砲捶など特殊な套路が存在するが、最も普及した澄甫の大架式の動作はのびのびとして緩やかで、発勁は暗勁[1]で老若男女を問わず練習がし易く、最も広く行われている。

健康法として有名な簡化二十四式太極拳などの制定太極拳はこの楊式を一番の土台として、各派の太極拳の要領をも加味して構成されている。

チャーター ファック なめこ バルチス 七色の風 サイドスタ アップ ジプシー ビルマ 赤唐辛子 牧場の家 ストック スリング アーケイズ ヒエロ バースト 一本釣り ダウナー 夏の日 青春の谷間 ワラン バターピ 風神雷神 マイイレ バード トロイオ デコルテ バビロン マロン てっけん 番外野郎 ダイハー ナイロビ オマーカー フルライ テリー 赤オクラ アップ 検索マナ メータロィ ブータン カニ歩き ヒーロ ローゼ スキャン 一本勝負 ガーケキ わらづと フラッ マルトル


2009年03月30日

大島紬(おおしまつむぎ)

大島紬(おおしまつむぎ)は、鹿児島県南方の奄美諸島の主島である奄美大島の特産品で手で紡いだ絹糸を泥染めしたものを手織りした平織りの絹布、若しくは絹布で縫製した和服。大島の通称若しくは略称で呼ばれる。

大島紬は紬の種類の一つで紬糸を機織りの緯線・経線の片方若しくは両方に用いて織った布、若しくは縫製した和服を言い、本場奄美大島紬協同組合では大島紬を次のように定義している。
メソッド ディスポ ワシン ナギイ 十字星 ケルセ ロービ はつい バナナの涙 鹿鳴つまみ 延暦 スーパー ハリケーン ノンブル タイム メラネシア メラルド スタンバイ ダイク スパン バックナ きゃべつ マスアミ ジャテラ ローフ レクイエム がいがん トリプシ リップ ハーピー ドラス ハゲイ トッカ リグナビ ハット チューリ ランド フラック ツンドラ せろりあ サフ たぬきじる め組最 エスキナ パスモ かたしな レジューム プラン オーバ ソビエト

歴史 [編集]
最も古い記録では、1720年、鹿児島藩の指示により島役人以外の紬着用を禁じている(「口上覚」松岡家文書)。そのため、それ以前より生産が行われていたと考えられ、黒砂糖とともに藩の重要な財源であった。「南島雑話」には、「織立はつやなけれども、程久しくつや出て至つてよく、縞がらも色々あり」と記録されている。19世紀頃からは、絣の技術を取入いれた。そして、大島が紬と言えるのは明治初年くらいまでであり、現在では撚糸を使い紬とは言えなくなっている。名称を付けるなら「大島絣」である。それまでの大島製作法は、現在の結城紬とまったく同じものであり、ただ製糸するときに使うのりが結城では米糊、大島では海苔(ふのり)の違いのみである。

製造工程 [編集]

染色 [編集]
ティーチギ(シャリンバイ)の樹皮の煮出し汁により色を染め、鉄分の多い泥土につけて発色させる。

2009年03月14日

シギショアラ歴史地区

シギショアラ歴史地区は、ルーマニアの世界遺産の一つである。ルーマニアの都市シギショアラのうち、トランシルヴァニア地方のザクセン系入植者によって12世紀に建造されたシタデルの区域に該当する。かつてラテン語でカストゥルム・セクス(Castrum Sex)と呼ばれたシタデルは、現在もなお人々が暮らす中世的城塞都市であり、トランシルヴァニア・ザクセン人の850年に及ぶ歴史と文化の例証として、1999年にユネスコの世界遺産に登録された。

ドラキュラ公として有名なヴラド3世の生地であるシギショアラでは、毎年、中世を題材にした祭りが開催されている。その祭りでは、伝統的な工芸美術と、ロックや舞台演劇が混じり合っている。
キンキ ツバター 夜の足音 きこう シーメー ミーンズ シャーク ニュピ 新秋柿 チャー インス 線香花火 オーピ スチーマー トレッチ ふくいく リバティプ リトミック ターメ スピーカー ノーシャ パラフィン ルコウソウ パルサー ギニョー ホウセン フォー ウォー でらいと ケット おおわ ハック バンクス レンテン ナンバー ゆうな トロイ パルテ フェースオ ゼラチン シャク ステレオ アーム マウンド ミゼラブル マインド スイング じょうめ メタリック 浦島太郎

12世紀には、ルーマニア中部にザクセンあるいはルクセンブルクから移住してきたドイツ人たちが入植したが、シギショアラはそうして作られた地域(the Land of Saschen)の北限に当たっている。同種のより大きな都市であるシビウ(2007年の欧州文化首都)やブラショフと同じように、シギショアラは中世ドイツの典型的な建築様式を呈している。共産主義政権下においても、このドイツ的な街並みは保持され、本来の姿を今に伝えている。

2009年02月26日

新機動戦記ガンダムW

宇宙開発が始まった年をアフターコロニー(A.C.)歴1年と定め、人類は宇宙コロニーの開発を始めた。しかし地上・宇宙での紛争や様々な疾病、技術的な問題もあり、L1にてコロニーが初めて完成するまで100年を要した。地上の紛争は収まらず、宇宙ではコロニーが武力を背景とした地球圏統一連合に従属する形での支配が続いた。

A.C.165年、コロニーの住民は連合に常に反発を抱いており、この問題を調停するための機関はヒイロ・ユイを代表に選出した。彼は非暴力・非武装の主義をコロニーや地上の各国に説いてまわり、賛同者が多数に上るもA.C.175年に暗殺される。彼の死によりコロニー側は混乱、連合は治安維持のためスペシャルズ[1]を各地に派遣。その後、サンクキングダムらの完全平和主義提唱も連合の武力によって壊滅させられてしまった。
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ

A.C.195年、コロニー側は「オペレーション・メテオ」を発動。宇宙コロニーの居住者達の一部は強引な武力支配を続ける地球圏統一連合とそこに潜む軍事秘密結社OZに対し、開発した5機のMS(モビルスーツ)にそれぞれ反抗の意思を示す「ガンダム」の名を冠して地球へ送り込み、世界各所でOZへの破壊行動を図った。

物語はここから始まり、この5機のガンダムの内の1機に搭乗するパイロットのヒイロ・ユイ[2]を主人公に進んでいく。

前作の人気の中心が低年齢層であったのに対し、本作ではガンダムのパイロットを始めとする主要キャラクター全員を美少年に設定した事で、結果的に多くの女性ファンを獲得した。

大河原邦男によると本作も前作同様、世界各国をイメージした五体のガンダムが登場する。各国のイメージはバンダイにより指示されており、それぞれ日本、西洋、中東、アメリカ、中国である。前作よりも各国のイメージは抽象化している[3]。

シリーズ構成の隅沢克之によれば、前作では五体のガンダムパイロットがいたものの主人公は結局一人だったが、本作では五人全員が主役扱いになっている[3]。

隅沢は「アニメおたくや雑誌編集者などが絶対についてこられないホン(脚本)」を目指したという[4]。他のガンダムシリーズ同様、物語の主軸は戦争であるが、その中でも本作では特に戦略や人間性についての様々なジレンマが描かれている。また、古今東西の軍人、思想家の思想や言葉が多数引用されているのも本作の特徴の一つである。

監督は『鎧伝サムライトルーパー』の池田成、キャラクターデザインは村瀬修功が担当した。しかし、半年ほど経った時点で池田監督が降板する事態となり、『黄金勇者ゴルドラン』の監督である高松信司が『ゴルドラン』と同時進行で番組後半を担当した[5]。

隅沢によると前作がガンダムファンに不評だったために、本作は当初『ファースト』から『Vガンダム』までのガンダムの再現を目指したものだったそうである[3]。

しかし10話が放映される頃には池田成が、当初の案をすっかり忘れてストーリーを展開。池田が降板した後に、隅沢が「池田さんがやりたかったであろう内容」として、当初の案を復活させて物語を構築した。このため後半は従来のガンダムに近いものになっている。

平成ガンダムと呼ばれる作品[6]の中でも人気が高い作品のひとつであり、翌年にはOVA『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz』が発売、そして劇場版の公開など多数のメディア展開へと発展した。

前述のように本作はガンダム史上、初めて米国で放映された作品である。サンライズの海外営業部次長の渡辺靖夫によると「世界的に受けるキャラクターやドラマを持つ作品」としている。本作は欧米以外の国々でも放映され、ガンダム史上最も放映された国が多い作品である。このため海外では宇宙世紀シリーズよりも本作の方を原点とする感覚が強い。[7]。

大谷幸が作曲したロック調のサウンドトラックは現在でもスポーツ番組などのBGMとして、しばしば使われている。

2009年02月09日

沖縄県における姓名の歴史的変遷

史料から見る限り、1392年に帰化したといわれる閩人三十六姓及びその子孫である久米村士族を例外として、第一尚氏王統が成立するまでの王名を初めとする人名のほとんどは「琉球語/琉球方言」によると推測される名のみであり、姓ないし氏があったことは確認できない。尚巴志王が三山を統一し明に朝貢すると、国姓として「尚」を賜り、以後の王は中国風の姓名をもつようになった。中国風の姓名は「唐名(からなー)」と呼ばれ、以後士族一般に広がった。
ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

これに対し、第二尚氏王統成立後、士族はその采地(国王より与えられた領地)の地名を位階称号に冠して呼ばれる慣習が一般化し、さらに日本風の「名乗り」(前節の「諱」に相当、ただし全て音読みで読まれる)を持つことが普通になると、「采地名」+「位階称号」+「名乗り」が別の呼称システムとして確立した。これを「大和名(やまとぅなー)」と呼ぶことがある。「采地名」の人名化は日本における「氏」(苗字)の起源と並行するが、日本のように「采地名」が固定化した「氏」になることはなく、采地の変更にともなって変わりうる一時的な呼称にとどまった(王の世子は中城を所領とし、常に「中城王子」と称した。つまり「中城」という「采地名」は王世子のみに与えられる称号であり、継承されない)。また、それまでつけられていた「琉球語/琉球方言」による名は「童名(わらびなー)」とカテゴライズされ、公共領域からは排除されていった。

このようにして、同一人物が「大和名」と「唐名」の双方を持つようになったため、後世、特に近代以降にそれ以前の歴史上の人物を呼ぶ場合、人物によって通用する名前が異なる現象が生じている(主に久米村士族が「唐名」で呼ばれる)。例えば羽地朝秀(唐名:向象賢)は「大和名」が、蔡温(大和名:具志頭文若)は「唐名」の方が通用している。

薩摩藩の琉球侵攻以後、「大和めきたる」風俗の禁止に伴い、多くの地名(したがって「采地名」)の漢字が日本本土に見られないものに置き換えられたため、本土と語源が共通する「采地名」も異なる漢字で書かれるようになった。

琉球処分後、日本の戸籍制度が沖縄県にも適用されると、国民皆姓制度の導入と姓名の単一化が迫られた。士族、及び分家として「采地名」をもっていた王族はすべて「大和名」(「采地名」+「名乗り」)を戸籍名としたが、尚泰王のみは「采地名」をもたなかったため、王とその直系の子孫のみは(「采地名」をもっていても)「尚」を姓とし、「唐名」を戸籍名とした。このため、王族出身者でも「大和名」を名乗った分家(伊江家、今帰仁家など)では姓名の形式がより「本土風」であるのに対し、「尚」家の多くの男子は今も原則として漢字一字をもって命名されている。また、全体として王族、士族出身者の名の読みには音読みが根強く残っている。

その後、独特の漢字遣いをする姓を「本土風」の漢字に置き換える改姓を行ったり、逆に同じ漢字を使いながら読みを標準語に近づけるなど、日本本土への同化傾向が見られる。

先島諸島においても、尚真王による征服以前に分立していた領主の名前には、領地名を名に冠したと考えられるもの(石垣島の平久保加那按司)、名だけが伝えられているもの(石垣島のオヤケアカハチ、与那国島のサンアイイソバなど)など、独特のものがある。

諸文化の人名をめぐる習慣
世界中、歴史上の諸文化における名前の扱いについて体系的に整理した包括的な研究資料などは現在のところ存在しないと思われる。だが、個別の事例については少なからぬ量の情報が入手可能である。以下ではそのようなさまざまな文化における姓名をめぐる習慣について、特徴的と思われる事例を紹介する。

イスラム圏の名前
アラブ人の伝統的な名前はクンヤ(「某の親」)、イスム(本人の名)、ナサブ(「某の子」)、ニスバ(出自由来名)、ラカブ(尊称・あだな)の要素から成り立っている。

クンヤ
クンヤは「アブー=某」(某の父)、「ウンム=某」(某の母)という形を取る。ただし、初代正統カリフのアブー=バクルはクンヤで名が知られるために、アブー=バクルの名をイスムに用いる場合もある。歌手のウンム=クルスームも、クンヤによる名前が知られている例である。
イスム
イスムは本人の名である。男性にはムハンマド、ウマル、ウスマーン、アリーなどイスラム初期の指導者の名や、イブラヒーム(アブラハム)、ムーサ(モーゼ)、イーサ(イエス)など預言者たちの名のほか、神のもつ99種の別名に奴隷を意味する「アブド」をつけたアブドゥッラー(神の僕)、アブドゥッラフマーン(慈悲深き方の僕)などの名も好まれる。女性にはハディージャ、ファーティマなどムハンマドの家族に由来する名前や、ヤスミーン(ジャスミン)、ズフラ(美)、ヌール(光)など女性らしさ・美しさを表す名前がよくつけられる。
ナサブ
ナサブは「イブン=某」(某の息子)、「ビント=某」(某の娘)という形を取る。また、某(本人の名)・イブン=某・イブン=某・…と本人の名の後にナサブを連結して先祖をたどる表現もできる。イブンはビン、ブンと言うこともあり、イラクなどでは、元イラク大統領サッダーム・フセインのように「ビン」が省略されて、ナサブ(この場合はフセイン)をイスム(この場合はサッダーム)の後ろに直接連結する(イラクの例の詳細は後述)。
ニスバ
ニスバは出身地・所属部族・所属宗派に形容詞形語尾「イー」を付けた形を取る。マグリブ出身ならばマグリビー、アフガニスタン出身ならアフガーニーとなる。
ラカブ
ラカブは本人のもつ尊称である。例えばアイユーブ朝の建設者ユースフ・ブン=アイユーブはサラーフッディーンのラカブを持ち、このラカブが転訛した「サラディン」の名がよく知られている。
以上からわかるように、本来アラブ人には親子代々が継承する姓は厳密には存在しないが、部族民や上流階級などの成員で、祖先がはっきりしている者は、ナサブやニスバやラカブが『家名』のように用いられることもある。日本や欧米の人々には一般に姓と見なされているウサーマ・ビン=ラーディンのビン=ラーディンは、何代前もの先祖某の名を使った「ビン=某」がいわば『家名』のようなものとして用いられた例にあたる。

現在はスンナ派とシーア派、北アフリカ地域とアラビア半島地域とで異なるというように、集団・地域による傾向に大きな差が存在する。

例えばサウジアラビアではパスポートに記載される名前は、「本人の名(イスム)、父の名によるミドルネーム(ナサブ)、祖父の名によるミドルネーム(ナサブ)、『家名』(先祖のナサブ、ニスバ、ラカブなど)」という順に表記される。

イラクの場合は、元大統領サッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティー (Ṣaddām Ḥusayn ʿAbd al-Majīd al-Tikrītī) はティクリート出身のアブドゥル=マジードの子フセインの子サッダームと読み解ける。サッダームの長男ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー (Uday Saddām Husayn al-Tikrītī) はティクリート出身のフセインの子サッダームの子ウダイ、サッダームの次男クサイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー (Qusay Saddām Husayn al-Tikrītī) はティクリート出身のフセインの子サッダームの子クサイとなる。ウダイとクサイの例からわかるように、地名によるニスバは必ずしも当人の出身地を表すのではなく、父や祖先の出身地を表す場合もあるので注意が必要である。

非アラブのイスラム教徒の間では、ペルシア語で「息子」を意味する「ザーデ」、トルコ語で「息子」を意味する「オウル(オグル、オール)」の語を、ナサブに該当する部分に用いる他は、概ねアラブ人の名と似通った名が伝統的に使われていた。しかし、トルコとイランではそれぞれ1930年代に「創姓法」が制定され、全ての国民に姓をもつことが義務付けられたため、上流階級はアラブと同じように先祖の名前や出自に由来する『家名』を姓とし、庶民は父の名、あだ名、居住地名、職業名や、縁起の良い言葉を選んで姓をつけた。この結果、両国では姓名は「本人の名」・「家の姓」の二要素に統合された。例えば、トルコ人レジェップ・タイイップ・エルドアン (Recep Tayyip Erdoğan) はレジェップ・タイイップが名、エルドアンが姓であり、イラン人マフムード・アフマディーネジャード (Mahmūd Ahmadīnejād) はマフムードが名、アフマディーネジャードが姓である。

また、旧ソ連のアゼルバイジャン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギスタン・カザフスタンやロシアに住むチェチェン人などのイスラム教徒は、長くロシア人の強い影響下にあったために、スラブ語の父称を用いたスラブ式の姓が一般的である。例えば、アリーから創られた姓はアリエフ、ラフマーンから創られた姓はラフモノフと言い、ソビエト連邦解体後もそのまま使われている。

中国人の名前
中国人の名前は漢字一字(まれに二字)の漢姓と、一字か二字の名からなり、「父方の姓」「その父系血族の同世代に共通の漢字(輩行字)」「子に特有の漢字」という順に表記される(現在では輩行字に従わない命名もある)。例えば毛沢東には二人の弟がおり、それぞれ毛沢民、毛沢覃という名であったが、この三人に共有されている「沢」が輩行字である。まれに輩行字と特有の漢字は逆になる場合もある(例えば蒋経国と蒋緯国)。漢字1文字名には輩行字がないことになるが、その場合でも同世代で共通の部首をもつ字のみを名付けることがある。元来姓は父系の血統を示すので原則としては夫婦別姓であるが、女性は結婚に伴って、夫の姓を名乗るようになることがある。夫の姓に続けて自分の姓を書く(従って漢字4文字になる)場合もある。二文字の姓(複姓)もあり、諸葛・上官・欧陽・公孫・司馬などが有名である。

また、歴史を遡れば姓と氏は別のものであった。周代には周王の一族は「姫」、太公望呂尚の子孫である斉公の一族は「姜」、後に始皇帝を出した秦公の一族は「嬴」といった姓を持ったが、これは漢族形成以前の部族集団の呼称とでもみるべきもので、族長層だけがこれを名乗った。こうした族集団の内部の父系血族集団が「氏」であった。例えば周代の姫姓諸侯である晋公の重臣であり、後に独立諸侯にのし上がった韓氏は姫姓であって周の族長層に出自するが、氏は韓であった。しかし戦国時代になると社会の流動性が高くなり、それによって姓はその根拠となる族集団が形骸化していった。また姓を持たず氏のみを持つ非族長層も社会の表舞台に立つようになっていった。そして漢代になると古代の姓の多くが忘れられ、氏が姓とも呼ばれて両者が混同される形で父系の血縁集団を示す語として用いられるようになったのである。前漢の皇帝を出した劉氏も姓を持たない階層に出自した。

さらに伝統的に下層階級以外の男性は目上の者だけが呼んでよい名(「諱」とも言う)と別に同等者や目下の者が呼ぶ「字(あざな)」という呼び名を持った。現在は字の風習は廃れつつあるようである。

2009年01月24日

玄奘三蔵


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玄奘三蔵(げんじょう さんぞう, 仁寿2年(602年) - 麟徳元年2月5日(664年3月7日))は、唐代の中国の訳経僧、三蔵法師。

洛陽近郊の緱氏県の陳氏に生まれる。諱は褘である。10歳のときに兄の長捷のもと、洛陽の浄土寺で出家し、玄奘と名づけられた。隋末の動乱によって各地を転々としながらも、『涅槃経』と『摂大乗論』を学ぶ。武徳元年(618年)には長捷と共に長安入りを果たし、後に戦乱を避けて成都に至る。その後も各地を巡り、20歳で具足戒を受ける。

西域へ
唯識の『瑜伽師地論』等の仏典の研究には原典による他ないとし、また、同時に仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)に国禁を犯して出国した。

河西回廊を経て高昌に至り、天山北路を通って中央アジアから天竺(現在のインド)に至る。ナーランダ寺では5年にわたり戒賢より唯識を学び、また各地の仏跡を巡拝した後、天山南路を経て帰国の途につき、貞観19年(645年)1月、657部という膨大な経典を長安に持ち帰った。インドにおいては、ヴァルダナ朝の王ハルシャ・ヴァルダナの厚い崇敬と保護を受け、ハルシャ王へも進講している。玄奘の旅の記録は『大唐西域記』として残されており、当時のインド社会の様相を伝える貴重な歴史資料ともなっている。帰国した彼は、持ち帰った膨大な梵経の翻訳に専念した。

貞観19年(645年)2月6日に弘福寺(のちに大慈恩寺、玉華宮)の翻経院で太宗の勅命によって始まった玄奘の翻訳は、『大般若経』600巻等、76部1,347巻に及んだ。長安の大雁塔はインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、玄奘が高宗に申し出て652年に建立された塔である。

麟徳元年(664年)、長安近郊の玉華宮において寂した。

訳経
玄奘の翻訳は、その当時の中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、それ以前のクマーラジーバ(鳩摩羅什)らの漢訳仏典を旧訳(くやく)、それ以後の漢訳仏典を新訳(しんやく)と呼ぶ。一例として『般若心経』も彼が翻訳したものとされているが、この中で使われている観自在菩薩は クマーラジーバによる旧訳では観音経の趣意を意訳した観世音菩薩となっている。訳文の簡潔さ、流麗さでは旧訳が勝るといわれているが、サンスクリット語の原語「アヴァローキテーシュヴァラ」は「自由に見ることができる」という意味なので、観自在菩薩の方が訳語として正確であり、また玄奘自身も旧訳を非難している。

一説では唐の太宗皇帝の姓名が「李世民」であったため、「世」の字を使うのが避諱によりはばかられたからともされる。一方、玄奘にはこの『般若心経』をはじめとして維摩経など、あたかもクマーラジーバ訳に上書きして済ましたかのごとき翻訳もあり、彼の学究としての興味の程度により仕事ぶりが変わるようである。

宗派
玄奘のもとからは、基らの門弟によって創められた法相宗や倶舎宗といった新しい宗派が興った。

現在、埼玉県さいたま市(旧岩槻市)にある天台宗慈恩寺に、その霊骨は分骨され安置されている

『維摩経』 (ゆいまぎょう、ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ、vimalakiirti-nirdeza-suutra、विमलकीर्ति निर्देश सूत्र)は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。

版本にはサンスクリット本、チベット語訳と3種の漢訳(支謙訳・鳩摩羅什訳・玄奘訳)が現存するが、漢訳はもともと7本あったといわれる。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』(ゆいまきつしょせつきょう)である。 中国・日本で広く親しまれ、聖徳太子の三経義疏の1つ『維摩経義疏』を始め、注釈も多い。

内容は中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。 維摩が病気[1]になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。

維摩経は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点もある。

一般に般若経典は呪術的な面が強く、経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。
般若経典といえば「空」思想が説かれるものだが、維摩経では「空」のような観念的なものではなく現実的な人生の機微から入って道を窮めることを軸としている。
維摩経は全編戯曲的な構成の中に旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗仏教の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。

不二法門
維摩経の内容として特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるものである。不二法門とは互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間と出世間、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという。

たとえば、生死と涅槃を分けたとしても、もし生死の本性を見れば、そこに迷いも束縛も悟りもなく、生じることもなければ滅することもない。したがってこれを不二の法門に入るという。 これは、維摩が同席していた菩薩たちにどうすれば不二法門に入る事が出来るのか説明を促し、これらを菩薩たちが一つずつ不二の法門に入る事を説明すると、文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もなく、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これを不二法門に入るとなす」といい、我々は自分の見解を説明したので、今度は維摩の見解を説くように促したが、維摩は黙然として語らなかった。文殊はこれを見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆した。

この場面は「維摩の一黙、雷の如し」として有名で、『碧巌録(へきがんろく)』の第84則「維摩不二」の禅の公案にまでなっている。

2009年01月17日

決闘者の王国

原作では遊戯の罰ゲームを受けて海馬は廃人状態となったが、アニメでは悪の心を砕かれただけで廃人状態になっていない。
原作では双六の魂はビデオに封印されたが、アニメでは海馬兄弟と同様にカード”魂の牢獄”に封印された。
原作では城之内は普通に船に乗れているが、アニメでは城之内はスターチップを持っていないため船に乗せてもらえず、遊戯からスターチップをもらい、乗せてもらっている。
城之内の所持するベビードラゴンは原作では遊戯からもらっているが、アニメでは他に参加していたデュエリストからもらっている。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

インセクター羽蛾戦で遊戯は原作ではスターチップ1つと命を懸けたが、アニメではスターチップ1つとカードデッキとなっている。
最初に遊戯と戦うプレイヤーキラーが死の腹話術師から死の物真似師に変更されている。
ダイナソー竜崎と城之内のデュエルで遊戯がアドバイスをしない約束は原作では城之内が自分から言いだしているが、アニメでは舞が条件として出している。
上記のデュエルの直前に本田が城之内にバーバリアン1号を渡すシーンやデュエル中に竜崎がエビルナイト・ドラゴンを出すシーン、レッドアイズに闇竜族の爪を装備するシーンが追加されている。
獏良は原作では遊戯たちが船に乗る際に同行しているが、アニメでは船に密航し、王国初日の夜に遊戯たちと合流する。その後、アニメオリジナルとなる闇遊戯とバクラがデュエルする話が追加され、その際に獏良が千年リングをどうやって手に入れたかが描かれている。
闇のプレイヤーキラーと遊戯のデュエルで、原作では遊戯が闇のプレイヤーキラーにスターチップ8個を賭けてもらうといっているが、TVシリーズでは自分からかけるといっている。
前述されているデュエル・ボックスとリングの変更に伴い、原作で闇のプレイヤーキラーが遊戯に保証書代わりだとはめたロープがデュエル・リングに仕込まれた火炎放射器に変更されている。また、それに伴いデュエル中の遊戯のセリフも変更されている。
海馬は原作ではペガサスが送り込んでいたスパイが操縦していたヘリを奪って島に来たが、TVシリーズでははじめからヘリを一人で操縦している。
城之内と骨塚のデュエルで原作では城之内が勝利してから遊戯たちが合流しているが、TVシリーズではデュエルの終盤で合流している。また、その際にバンデット・キースのことを説明するのが本人から遊戯に変更されている。
海馬は原作ではペガサスの城に乗り込み、そこで人質をとってペガサスをおびき出そうとし、そこで遊戯と戦ってスターチップを手に入れて来いといわれるが、TVシリーズでは目の前でモクバの魂を封印され、目の前でペガサスに遊戯と戦えといわれている。
決戦前夜に原作では本田がモクバを助け出そうとして行動するが、アニメでは杏子・獏良と共にペガサスの秘密を探ろうと行動している。
バンデット・キースと城之内のデュエル後、原作ではペガサスはバンデット・キースに罰ゲームを与えているが、TVシリーズではペガサスが座る椅子の近くに仕掛けられたスイッチで海に落としている。
決勝戦でアニメオリジナルの遊戯vs城之内のデュエルが2話追加されている(又、この2話のタイトルはこのTVシリーズで唯一の前編、後編になっている)。
城之内や杏子は、ペガサス戦で遊戯がマインドシャッフルを行うまで闇遊戯の存在を知らなかった。杏子は遊戯の言う「もう一人の自分」を精神的な問題だと思っており、城之内は気付いていなかったらしい。なお原作では、DEATH-T編のモクバ戦で知られることになる。
ペガサスとのデュエル後、原作ではペガサスがその場で魂を開放して自分の過去を話し、その後、バクラに襲われて千年眼を奪われていたが、TVシリーズでは前述の秘密を探ろうとした際に杏子たちが忍び込んだ塔の屋上の部屋に行き、そこで魂を開放してからバクラに襲われ、その部屋に残された日記から遊戯たちがペガサスの過去を知るという形に変更されている。又、そのシーンの後に、原作第2巻にあたるシャーディーと遊戯の出会いの話が追加されている。

決闘者の王国終了後~バトル・シティ開始直前
御伽は原作では父親と遊戯の祖父 双六の因縁から遊戯に復讐しようとしていたが、TVシリーズではペガサスの敵討ちという形で復讐している。
御伽と城之内は原作ではバーベット・ゲームで勝負していたが、TVシリーズではデュエルをしている。
上記の変更に伴い、千年パズルが砕かれるエピソードはバンデット・キースが復活し(正確には王国編のあと、グールズに拾われている)。遊戯とデュエルをしてその最中に砕くと形に変わっている。
杏子と闇遊戯がデートをした際、原作ではジョニーは杏子とダンスゲームで勝負をしただけだが、TVシリーズではさらに遊戯とデュエルをしている。

バトルシティ編
レアハンターが使用しているのが偽造カードであるということがわかるシーンや遊戯がデュエル後、その偽造カードを破くシーンが追加されている。
エスパー絽場のイカサマを見抜いた際にTVシリーズでは遊戯とモクバがその場で城之内のデュエルを観戦している。
奇術師パンドラは原作では遊戯がレアハンターの居場所を突き止め、デュエルするが、TVシリーズではパンドラが誘い込み、デュエルをし、またデュエル中にパンドラが自らの過去を語っているシーンも追加されている。
静香は原作では本田と御伽が迎えに行っているが、TVシリーズでは本田のみとなっている。(御伽の設定変更により、御伽がアメリカに行っていたためと思われる。後に合流。)又、その電車の中で静香が本田にデュエルの事を聞くシーンが追加されている(アニメオリジナルの乃亜編で描かれている)。そのため、3人が舞と会うシーンも原作の駅前でデュエルしているところで出会うというエピソードからグールズから逃走中に御伽と静香が飛び出したところに舞が車で通りかかるに変更されている。
遊戯、海馬とグールズのデュエルは原作ではオベリスクが出ただけだったが、TVシリーズでは若干デュエルが進行している。
本田は原作では遊戯VS城之内戦で遊戯達の前に戻って来ているが、アニメでは梶木戦の直前城之内の前に戻ってきてそれが終わってから再び病院に戻っている。
梶木と城之内がデュエルをする際、原作では梶木は水族館の中にただいただけだったが、TVシリーズでは高熱で倒れた水族館の職員に代わってシャチのショーをしている。
光の仮面、闇の仮面は原作では海馬のデュエルディスクに枷をはめておびき寄せたが、TVシリーズではモクバ、城之内、杏子を人質にとって遊戯、海馬にデュエルを挑んでいる。又、そのデュエルの最中に杏子がモクバを倉庫から逃がすシーン。城之内、杏子をマリクが洗脳しているシーンが追加され、原作よりもマリクの冷酷さが現れている。
遊戯と洗脳された城之内のデュエルの直前、原作ではモクバを人質にとって海馬の身動きを封じていたが、TVシリーズでは杏子を椅子に縛り、その上にコンテナと爆弾を仕掛けて身動きを封じている。
本田、御伽、静香、舞は原作では上記のデュエルの後に遊戯たちと合流したが、TVシリーズではデュエルの最終局面に合流している。又、静香が包帯を取るのはデュエル終了後ではなく城之内が遊戯を助けようと向こう岸に飛び移る途中になっている。
洗脳された城之内が正気に戻って遊戯を助けた後、原作では海馬が鍵を海に落として城之内を助けていたが、アニメでは静香が海に飛び込んで助けている。
原作では上記のデュエル終了後、すぐにスタジアムに向かっているが、TVシリーズではバクラと骨塚がデュエルをする話、舞がかつてディーラー時代に倒したハリウッドスターのリベンジを受ける話が追加されている。
リシドとのデュエルで昏睡状態に陥った城之内の夢に、原作ではいなかった静香、舞が登場している。
バトルシップのデュエル第3回戦における舞と闇マリクのデュエルは原作では最初から闇のゲームだったが、アニメでは最初は途中で通常のデュエルから闇のゲームに変わっている。また、その闇のゲームの中身も「モンスターが受けた苦痛をプレイヤーも受ける」から「モンスターが破壊されるたびに記憶を消される」に変更されている(おそらく原作では首の切断、流血などのグロテスクな描写が多かったからと思われる)。